
皆さん今晩は。今日は2024年12月8日(日曜日)夕方18時頃です。昨日はグッと冷え込み、鼻水が止まらなくなり寝込んでいましたが復活しました。なので、今日も現代アートについて勉強していきます。
さて、今日はシミュレーショニズムについてです。現在、「シミュレーショニズム(著:椹木 野衣 ちくま学芸文庫)」本を読み進めていますが、本だけ読んでいると頭がこんがらがってきます。実際は一度読み終わっているのですが、混乱していて、とうていスッキリ理解できているとは言えません。なので、本をもう一度読み返しながら、ブログにまとめつつ「シミュレーショニズム」の基本的なことってなんだろう?と今から考えてみます。
その原因を考えるためにChatGPTを使ってみました。日本語サイトで分かりやすく説明してくれているページがなかったので、ChatGPTに頼るしかありません。最初にそもそも「シミュレーショニズムとは?」から質問しました。どうやらアートだけの概念ではなさそうです。
以下、本を読みながらまとめているメモです。正直、理解するには難しい時代です。
アメリカで流行ったシミュレーショニズムについて教えて?
以下、ChatGPTの回答になります。
「シミュレーショニズム(Simulacra and Simulation)」は、ジャン・ボードリヤール(Jean Baudrillard)というフランスの社会学者・哲学者が提唱した概念で、アメリカや世界中で広く影響を与えました。この概念は特に1980年代から1990年代にかけて注目され、アメリカの文化やメディアの発展にも関連があります。
シミュレーショニズムとは?
ボードリヤールの「シミュレーショニズム」は、現代社会において現実とその表象(イメージやメディアによって作られるもの)がどんどん曖昧になり、現実そのものよりもその表象(シミュラクリ)が重要になってきているという考え方です。ボードリヤールは、「シミュラークル(simulacrum)」という概念を使って、この現象を説明しました。
シミュラークルとは、現実のコピーであると同時に、もはやその元の現実を必要としないようなもの、つまり現実に基づかない独自の現実を作り出しているものです。例えば、テレビや映画、広告、ビデオゲーム、そしてインターネットのコンテンツなど、現実を模倣しながらも、現実そのものを超えてしまうようなイメージがシミュラークルです。
この考え方は、現実とその表象(シミュラークル)の境界が曖昧になり、私たちが体験する「現実」がもはや実際のものではなく、メディアや文化が作り上げたシミュレーションに過ぎないとするものです。
ボードリヤールの理論の3段階
ボードリヤールは、シミュラークルが発展する過程を3つの段階で説明しています。
1. 模倣(Copy): 何かの「現実」を忠実に模倣したもの。
2. 歪んだコピー(Perversion of a real thing): それが現実を歪めて、現実の本質とは異なるものになる。
3. シミュレーション(Pretend to be real): 現実とそのコピーの違いが分からなくなり、コピーが現実のように振る舞い、元の現実がもはや存在しなくなる。
アメリカにおけるシミュレーショニズムの影響
アメリカでシミュレーショニズムが注目されるようになった背景には、メディアの影響力の増大、広告や映像文化の発展、そしてインターネットの普及などが関係しています。特に、以下のような要素が関与しています。
消費社会とメディア: アメリカでは、広告やテレビ番組、映画、インターネットが日常生活の一部となり、現実の生活や出来事がメディアによって再構築されています。これにより、人々は実際の経験よりもメディアを通じて得られる「現実」に影響を受けるようになります。
バーチャルリアルとデジタル文化: コンピューターゲームや映画(特にSFやアクション映画)など、仮想現実やシミュレーションの世界が広がる中で、シミュレーションと現実がますます入り混じり、境界が曖昧になっています。
『マトリックス』とボードリヤール: 1999年に公開された映画『マトリックス』は、ボードリヤールのシミュレーション理論を非常に強く反映しています。この映画は、人々が現実だと思っている世界が実は仮想現実に過ぎないというテーマで、シミュレーションと現実の関係を探ります。ボードリヤール自身も映画の中で自らの理論が取り上げられたことを認識し、映画がシミュレーションについての新たな解釈を提示していることを評価しました。
シミュレーショニズムの社会的影響
ボードリヤールのシミュレーショニズムは、メディアや文化が現実をどのように再構築し、時には支配する力を持つかを問い直すものであり、現代社会の消費文化やアイデンティティ形成、政治経済にも大きな影響を与えました。
例えば、政治的なプロパガンダやメディアによる情報操作も、シミュレーションの一種として捉えられます。人々はメディアや情報によって「現実」を認識し、その影響を受けるため、現実をどう捉えるかはメディアのシミュレーションに大きく依存していると言えるのです。
結論
アメリカにおけるシミュレーショニズムの流行は、メディア文化の発展、デジタル技術の進化、そして現実と仮想の境界が曖昧になる現代社会の特徴を反映しています。シミュレーションと現実の関係を問い直すことによって、ボードリヤールは新たな社会的・哲学的な視点を提供し、それがアメリカをはじめとする世界中の文化や思想に影響を与えました。
とChatGPTは答えてくれました。ここで気になるのが冒頭の「ジャン・ボードリヤール」さんです。一体誰でしょうか?
ジャン・ボードリヤール
ジャン・ボードリヤール(Jean Baudrillard、1929年7月29日 – 2007年3月6日)は、フランスの哲学者、思想家である。『消費社会の神話と構造』(La Société de Consommation 1970)は現代思想に大きな影響を与えた。ポストモダンの代表的な思想家とされる。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
思想家でした。言っている意味もよく分かります。
「シミュレーショニズム」が、どうアートと関係しているのか?
「シミュレーショニズム」自体の考え方は理解できたのですが、この考え方がアートとどう関係あるのか?と考えました。シミュレーショニズム作品のイメージは他者の作品を使って新しい作品を作っているイメージです。
まだ、よく理解できません。
メディアの発達が原因で、現実とイメージの境界が無くなったというのは理解できますが、それがどうアートと関係するのか???
謎です。
そこで、少し前の1970年代を振り返ってみたいと思います。1970年代のアメリカのアートはコンセプチュアルアートの全盛期。ミニマリズムが台頭し絵画が解体されつくした時代でもありました。ドナルド・ジャッド、フランク・ステラ、マーク・ロスコは60年、70年代に多く作品を発表しています。ランド・アートが出てきたのもこの時代です。
1970年代は、今迄なかった新しい芸術の様式を実験し探していた時代でもあります。だから新しい形式がでてきた。でも、アメリカに限らず、ヨーロッパでも、そうした歴史的展開の必然性を無視する形で、どうみても絵画としかいいようのない作品が盛んに描かれる始めた。
非常に大きなキャンバスに神話的なテーマをあしらい、とても激しいタッチで描かれるものが多かった。具象的なイメージを殴り書きしたような絵で続々とアート業界にのりこんできたのです。
新表現主義(ネオ・エクスプレッショニズム)
その絵画が解体されつくした反動で新表現主義(ネオ・エクスプレッショニズム)が出てきたのが80年代です。ジュリアン・シュナーベル、フランチェスコ・クレメンテ、デヴィッド・サーレ、アンゼルム・キーファー、ゲオルグ・バゼリッツ、ジャン=ミシェル・バスキア、キース・ヘリングなど。
余談ですが、これに触発されて日本ででてきたのが「ニュー・ペインティング」と呼ばれるムーブメント。大竹伸朗、日比野克彦、横尾忠則、湯村輝彦、蛭子能収といったコンセプチュアルではなく、描くことの復権という動きでメディアで紹介されるようになったそうです。
ネオ・ジオ
この新表現主義(ネオ・エクスプレッショニズム)という動向が話題になった後、すぐに「ネオ・ジオ」と呼ばれる動向がでてきました。新表現主義の作風とは真逆の作風で非常にクールで、幾何学的な抽象を主な作風とした一連の作風を指す言葉です。ピーター・ハリー、フィリップ・ターフ、ロス・ブレックナー。
ネオ・ポップ
その後に、今度はネオ・ポップといった一連の作家が現れてきました。言うなれば、マルセル・デュシャン、アンディ・ウォホールの二番煎じ。いわば消費社会の色々なイメージを作品の中枢に据える一連の作家たちです。「大量生産、大量伝達、大量消費、大量廃棄社会」の世の中を記号として存在している様々なモチーフを80年代風にもう一度再利用して、別の形で展開していく手法です。
アシュリー・ピカートン、マイヤー・ヴァイズマン、ハイム・スタインバックといった作家がいますが、最も成功したのはジェフ・クーンズです。
冒頭のジャン・ボードリヤールの考え方を踏まえます
80年代の10年間で、この3つの動向が、シーズンごとに現れては消えていくといった現象がおきたのですが、こんな事は今迄のアートの歴史にはなかったことでした。この3つの動向には歴史的動向は踏まえて作品制作されているが、過去の焼き直しにすぎず、新しい主義、主張が見当たらない。
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美術史を大量生産した時代は終わりで過去の手法をリサイクル、再利用しなければならない。外見上は絵画に見えるけど、実際にはそれは絵画ではない、過去の作品とよく似ているものだけれど、そうではないものをリサイクルして制作することが作品となるという考え方です。
ここで冒頭の「ジャン・ボードリヤール」の「シミュレーショニズム」の考え方を踏まえます。現実と表層のイメージの境界線が曖昧になっているという考え方です。
踏まえると、「過去の作品と似ているけど、それとは違う新しいものが作品という考え方」は、いわば絵画のシュミュレーショニズムなのだと言い換える事ができます。
引用しているものは過去の作品からで、材質は歴史に埋葬されているもの。それに新しい命を吹き込み再生したものが新しい絵画なのです。
だから、過去の作品をそのまま描いたいり、広告写真自体をそのまま撮影したものがアート作品となる「シュミュレーショニズム」と言われる理解し難い作品が出現してきました。
つまり、シミュレーショニズムという考え方に似ているから、シミュレーショニズムの作品、シミュレーションアートという名前がついているのですね。少し腑に落ちました。
ここで、一旦休憩です
しばらくしたら追記する予定になります。
18時から書き始めたこの記事ですが、現在時刻は21:08。3時間あっという間に経過しています。難解なテーマを3時間考え続けるのもしんどい作業ですが、ご飯を食べたので、まだ続きを記述できます。
デュシャンがすでにやってるじゃん。ていう結論でいいのでしょうか?
ご飯を食べて、今日考えた事や学んだ事を振り返っていたら、もう23:03分です。午前中から色々考察していたので、今日だけで6時間以上はシミュレーショニズムについて考えていました。そこで、頭が限界なので、最後にデュシャンについて書いてこのブログ記事を書いてお終いにします。
引き続き、調べていくので、また新しい考え方がまとまったら別のブログ記事で書きたいと思います。
色々、考察をしてきましたが、結局マルセル・デュシャンがやったことだな、という印象です。モナリザの絵葉書に「口髭やアゴ髭」を落書きのような形で加えた作品で有名な「L.H.O.O.Q.」。シミュレーショニズムが「アートを大量に流通しているイメージの1つとして捉えた事が重要」なら、もう「L.H.O.O.Q.」です。ちなみにデュシャンが「L.H.O.O.Q.」を発表したのは1919年。80年代より昔、60年以上前にデュシャンがやってた事に似ています。
最後にレーガン大統領の経済政策
本ではシミュレーショニズムが台頭した原因の1つにアートマーケットが活性化した事も要因の1つだと言及されています。レーガン大統領がとった経済政策が富裕層にとって有利だったため、アート市場が活性化し、ギャラリーが売れるアート作品の確保に追われた時期でもあります。需要に対して供給が追いつかなかったため、ギャラリー側はなんとかアート作品を確保する必要があったのです。それもシミュレーショニズムに分類される作品が増えた要因の1つだそうです。
レーガン大統領の経済政策
具体的経済政策としてはいわゆる新自由主義に基づき、「サプライサイド」(供給側)経済を唱え、減税による景気浮揚をはかった。支出の削減では社会福祉関係の予算を大幅に削減した。減税は企業や富裕層には有利であり、社会福祉予算削減は低所得者層に犠牲を強いることとなった。
参考
ジャン・ボードリヤール「芸術の陰謀」―消費社会と現代アート
Note.comーこのアートは知られるべき:Pop-art (Part2)
美術手帖:新表現主義
最終更新日: